2009年7月 7日 (火)

こずえはわかった

0.進捗は亀
自分の新ユニット「キコ」はちょっとずつ進めている。
核となる、ユニットとしてのイメージ・構想が少しずつ固まってきた。
だいたいがひとりでやるもんなんだから
「やりたいことを存分にやる」
ってくらいシンプルでいいいのだが。やりたいことが多すぎて散漫だ。
まずは俺の中のスタンダードを知らなければ。

目下、早急に新しい名詞が必要なので、ロゴを作成。
これはプロトタイプ。
Jpg jpg変換したら画質が超落ちた。
またやりなおしだ。

「キコ」の
イメージカラーは青と橙。
 

象徴する動物はヨザル。
Photo



 

植物はイチョウの葉。
Ityouba




 

案の定WEBスキルがネックだ。操作が仮想すぎる。
叩けば曲がる、とか、食べたらうまい、とかそういう次元でないと俺は嫌だ。
学級新聞くらいの感覚で手書きでなんとかならんものか。
ダダこねちゃう。

 
 
 

1.ハチミツとクローバー・フィールド
DVDで映画鑑賞。
「クローバー・フィールド」
「めがね」
「スカイ・クロラ」
「ユリイカ」
を観る。

「クローバー・フィールド」は賛否両論系作品。
一人称カメラでパニックムービーという、ある種テレビゲーム的な発想なのか。
非常に面白かった。
Webでの仕掛けなども楽しく。大満足。
「賛否両論でどっちかというと否のが多い。」という作品は大概好きだ。

自分もそのタイプの評価を受けることがよくある。
ネットで「クローバー・フィールド」の劇評を読むと、どこかで聞いた事のある「否」の意見が…。自分が「その夏、13月」で頂いた「否」の意見とまったくそのまんま同じ内容のものだった。
これは、マーケティングとして興味深い。誰が好きで、誰が嫌いか。
とても勉強になった。
こういう叙述トリック系の構成を組むのは大好きだし、「13月」なんかキコ・バージョンでやってみたいしね。
僕は「13月」という日常の延長線上にある題材で倒述トリックをつかった。
JJは「クローバー・フィールド」という怪獣パニックムービーで一人称の叙述トリックを採用した。
共通点はなく、ともすると使用する題材の問題ではない。

難易度設定の妙とか、そういうことなんだろうな。
僕は「ゼルダの伝説」シリーズの大ファンなのだが。解ける解けないの塩梅という点で、これ以上無いくらいに尊敬している。
ゼルダみたいな塩梅で調整できたら最高な13月になるはずだ。
あと、心理描写か。
これは後述する。

「めがね」は優しさに満ち溢れた良作。
食事のシーンが圧倒的に素晴らしい。
伊丹十三の「たんぽぽ」を思い出した。
伊丹は「たんぽぽ」において食と生と性を雄弁に語り上げたが、「めがね」はもう、ひたすらに淡く、言葉少なにつぶやきかける。
もたいまさことかほとんど喋って無いもん。
この静寂、つまり間にこそ日本人の絶対的な美学がある。もう、これはホントに絶対的だ。 
この静寂を恐がるアーティストが多いよな。俺も恐いもん。
でも、静かにしようぜ。
食事のシーンはセックスのシーンを撮るくらいに、ナーバスに作らなきゃ駄目だ!
こないだの「愛妻は荒野を目指す」で、そういった部分を粗雑にしてしまったことを激しく後悔した。

そんな悔恨さえ、やさしくなでまわすような美しい絵。
時にセリフよりも語るスロウな音楽。
ひさびさにサントラが欲しくなった。全然売ってねえ。

どこにも置いて無いので、帰りに下北のKALDIで腹いせにハチミツを買った。 
ヨーグルトに入れて食べよう。

 

 

2. みつけた
「スカイ・クロラ」もよかった。

(ちょっとネタバレ)
スカイ・クロラはパイロットの話なので、戦闘シーンのやり取りとかは英語。
ラストシーンでの主人公、カンナミがのセリフもそう。
そんとき日本語字幕が出るんだけど、
「俺は"ティーチャー"を攻撃する!」
なの。

大人になれない(ならない)体質の子供たちが戦争をするストーリーの中、唯一の大人であり、絶対に倒せない相手、それが"ティーチャー"。
そいつを挑むんだけど、
上記のセリフの時、実際に主人公が口にしている英語は
「I'll kill my father!」

親父を殺しに行くぜ、と言っている。
これ、ほんと素晴らしい。
こういうアイロニー大好きすぎる。やっぱ、父親は殺すべき存在なんだよ。

 

で、殺すって何?
なんで?
という話。

やっと観れた。青山監督の「ユリイカ」。
わかった。
本当にわかった。

九州の田舎町。バスジャック事件が起きる。
乗客たちは次々に射殺されていき犯人も射殺され事件は解決される。
この事件で心に深い傷を負った生き残りの3人、
バスの運転手と10代の兄妹のその後の時間。

3時間40分という長丁場なので気合を入れての鑑賞。
気合なんか必要なかった。
この作品は静脈注射です。
点滴治療です。
ただ、観ればいいんです。

深読みなんかいらないし、読解もいらない。
身を委ねて観るだけで、あとはオートマティックに哲学の果てに連れて行ってくれる。
感覚的な作品とはこういうことを言うのだ。

心理描写。
ただその一点のための上映時間。
誰もが体験しえないような心理。つまり殺人という行為への心理描写。
青山監督はすごい。
殺人を犯す人間の気持ちを、わからせてしまった。

しかも、ここに美化がある。
それは同情の美化ではない。ロマンチシズムの美化でもない。
退廃美の美化でもない。

ただただ、無慈悲な美化。

 
 

ただただ日常は繰り返される。
生きているだけで日常はまわる。
この恐怖。
隠れてしまいたい。
終わらせてしまいたい。なのに。
それを美化されてしまったら。

何がなんでも生きなければならない。
生きていなければならない。
恐いのに、生きる。
美化されてしまったら、生きざるを得ないじゃないか。

心理描写とは、この無慈悲さなのだろう。

 

板の上に立つということは、
こういうバケモノと勝負をしなきゃいけないということだ。
自分のやることぐらい、
掛け値なしの美化をしてやらないとな。

風景が死んでしまう。

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月 1日 (水)

はなよめのまち(仮)

0.ねむれぬよるにさけをのみ
さあて、
次はどんな物語を書こうかな、と思いながら。

なんとなく、mixiのプロフィールページに
何も決まっていないデタラメの企画をでっちあげて掲載してみた。
何の意味もないし、ただのいたづらだ。

で、作品キャッチみたいなのをツラツラと書いていた。
意外と長くなってしまったので、こっちに載せることにした。

馬鹿みたいにセンシティブな感触にしたいなあ、というのはあって。
(ちなみにmixiはこれ。アクセスしちゃ駄目だよ。)

 
 
1.はなよめのまち(仮)

イメージはちょっとずつ降ってきている。
まだまだだな。
単純に量が足りない。
お客様をブチ殺すには、まだまだ情念が足りない。
やっぱ登場人物を先に煮込むか…。

町の風景を先に見ておこう。

(以下、作品イメージ)
あしたかなた。

明日になれば、あたしは女になる。

明日が恐くて仕方が無いあたしは、今日を精一杯生きている。
無様に、もがいて、抗って、祈って、強く思えば、
明日が来ないかもしれない。
あたしはがんばっている。

港の喫茶店から、海を見ていた。
キラキラと晴れている。
あれは最後の雲だ。
明日からのあたしは、もうあたしじゃない。

かえりみち。
郵便局の角を曲がって、忌まわしい旅館に戻る。
草葉のにほいが、あたしの貧相な胸を締め上げる。
こんな痛みも、今日で最後だ。
いつものように裏口の階段を上り、
手すりの白い塗装で袖を汚しながら、
丘の向こうに堕ちていく、錆びた紅を見ていた。
ふしだらな光が散乱している、あたたかな夕暮れ。

あしたがくるあしたがくるあしたがくるあしたがあたしをさらいにくる

たすけてよ
このまちには愛がない。

頬に伝ったつめたい感覚は、小さな雨だった。
笑いながら、
碧く碧く降ってくる。

真夜中に、あたしは桃色になります。

こわれた階段を降りたら、その踊り場に君が居たらいいのに。
ここで、
真夜中まで待っています。
まっくらな花が湧いて、ゆっくりと楽しくなっていくんだ。 

あした、はるかかなたにみえる。
 
 
2.観音さま    

敬愛するエッセイスト、杉浦日向子さんの一節が好きだ。

“俗に、遊女を「生きた観音様」という。
観音はひらく。
観音はゆるす。
観音はすくう。
遊女が客を満足させることを「ぶち殺す」という。
女ひとりで千人あまりの男を昇天させる。
遊女の赤いふとんの上は天上界で、
そこでは現世の約束は通用しない。
世間的な体面や地位をはぎとり、
一個の肉塊としてなぶり殺しにするのが最高のもてなしだ。
殺された翌朝は、まっさらな魂に生まれ変わって、送り出される。
そして、
死にきれぬ野郎は、
永劫の観音詣でにとらわれるのである。”

 

 

3.スタイルと方法論
「語られるべきはその内容や精神性ではなく、その方法である。」

なんだったか、いつだったか忘れたけど、創作というものを学ぶ上でずっと気にしていた言葉。
ようは、エゴにとらわれてはいけませんよ。
ちゃんと客観視しましょうね。
ということだ。と、思う。

 

僕がよく、女性視点で書くのも方法論のひとつだ。
プロットの組み方(汲みかた)もメソッドがある。

そういった無感情の作業を置くことで、いわゆるオナニー作品という失敗を回避できる。
自己愛の強い作品は嫌われる。

特に、ポップカルチャーにニヒリズムが蔓延しはじめた80年代中盤以降は、作品を作る上でのシニシズムが重要性を増した。
クリエイトよりも、セレクトが重宝された。カタログアーティストが幅を利かせた。

そのせいか、ウェルメイドな作品が激減するという反作用も起きる。
90年代における、アマチュアリズムの台頭である。

おれ、ズムズムうるせいな。この話やめよ。
ようは、これからの演劇だったり音楽だったりのポップカルチャーは、無鉄砲に行こうよということが言いたい。
スタイルも方法論も、たとえその全てが、自らが構築したものであったとしても、絶対に依存してはいけない。
乗る舟はいつも、方舟ではなくドロ舟であるべきだ。
ひとりでの作業の段階ではことさら。
うん。
お客さんは方舟に。俺たちはドロ舟に。 

 

 

4.生きながらブルーズに葬られるために
そういうわけで、今の僕はドロ舟作りに執心中だ。
この作業はまるで、
少年期の砂場の王国を彷彿とさせる。

恥ずかしく、かつ誇らしい僕だけの王国。
ユナイテッド・キングダム・オブ・グレイト・オグリ。 

4才児の世界から始まる。
やがて小5の残虐性と圧倒的な陽気さを携え、
14歳のセックスと切なさを持ち寄り、
17歳の切実なイノセンスを飲み込みながら、
今現在(32歳)のブルーズをもって、この国の感情を鳴らす。

「世界を救う」という漠然とした、
幼稚で誇大な夢と、もう少し付き合おう。

たくさん作品を作りたい。
つとに思う。

多くの命に触れていたい。

 

 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

Reset-N「眠るために目醒める」を観ました

0.タコパ

昨日催されたタコヤキパーティのおかげもあって、
ここ最近の精神的な弱まりも解消された。
パーティの素晴らしさを思い出したよ。
たかがたこ焼で大騒ぎしていた俺たちは素敵だったと思う。いや、「たかが」じゃない。
たこ焼は偉大な食べ物だ。
たこ焼に多くの未来を見出した昨夜の俺たちは、どこまでも正しかった。
 

 

1.透明

明けて、本日。

初のReset-N観劇。王子小劇場にて。
Nemuru700

 
 
 
 
 
 

特筆すべきは、やはり「透明感」。
これに尽きる。

「透明感」の理由を追求することがResetを語るということなんじゃないだろうか。
観念的ではある。
だが、今、僕の頭の中に巣食っているこの観念を写実して語ることができたら、何かしらアートの本質に近づけるんじゃないだろうか。

今日の記事はそんな挑みで書いてみる。

Reset-N「眠るために目醒める」

【作・演出】 夏井孝裕

【出演】
 鶴牧 万里/原田 紀行/田中 のり子/山田 奈々子
 日高 勝郎(InnocentSphere)/山前 麻緒(劇団夜想会)/西尾 美鈴

【作品概要】
役名はすべて本人。
今回の作品を作る過程がドキュメントとして描写されている。メタフィクション。
演出家が来ない稽古場と、その演出家の部屋との二場面で構成される。
いわゆる「物語」はない。

 

 

2.風景

日常そのものが舞台の上に寝そべっている。
それをナイフとフォークで丁寧に切り分け、少しずつ少しずつ口に運ぶような、ある意味変質的な食事を想起させる、奇妙な肌触り。(その点では三島由紀夫っぽいかも。)

舞台装置、照明、音響の噛みあい方がすごい。
素晴らしい可視環境。

台本の言葉と、役者の声と、眼前の色合いが渾然一体となっているのに、
ここに一切のカオスがない。
風景がどこまでも深い、透明。

たしかに大衆性は無いかもしれないが、
(そもそも「大衆性」なぞ相対的な価値でしかない。)
この作品の面白いところは大衆性が皆無であるのに、強固な普遍性があったことだ。

決して特異な劇団ではないと思う。
このような試みをポップシーンに提示してきたアーティストは多くいる。
僕がReset-Nを観て連想したのは、二枚のアルバム。
それは後世のポップミュージックに多大な影響を与えたバンドだ。

 

 

3.アンダーグラウンド

ひとつは、60年代のNY、Factoryと呼ばれる工房で活動していたバンド、
「The Velvet Underground」
卑猥で猥雑な実験的ノイズ
ビートニク的感性で完膚なきまでにソリッドに描かれた歌詞
不気味なほどに優しいメロディーライン
女性の独り言を回想する楽曲「Candy says」に始まり、目覚めへの恐怖を綴った「After hours」に終わる、ヴェルヴェッツのサードアルバム「Ⅲ」(奇妙な一致だ!)
今回の作品の退廃性とその甘美、つまりはデカダンスという背徳の果実がステージの上にあったということだ。

もうひとつは、
90年代、偉大なバンド、
「My Bloody valentine」
90年代のロックミュージックにおける最も重要なバンドのひとつ。
アルバム「Loveless」は、シューゲイザーと呼ばれたカテゴリーでは金字塔である。
このアルバムで表現されているのは、血の雨が40日40夜に渡り凶暴に降り注ぎ、やがて世界が羊水の洪水で滅亡してしまうような圧倒的な音像。
なんだろ。
死ねば死ぬほど産まれてくる、というか。
生物のおぞましさを、これまた甘美な味に仕上げた美しいアルバムだ。

Reset-N「眠るために目醒める」

実は、この作品で描かれていたものは「退廃」なのではないだろうか。
眠ったままのヒロイン。
自らのエゴに埋没した演出家。
夢想家の作家。
無力な役者たち。

実は誰も、出口が見つかっていない。
実は何も解決していない。
未来に希望を持てない状況を「退廃」と呼ぶ。

「退廃」を肯定的に描写する。
ぶっちゃけ、この行為は人としてタブーだ。 
そして、このタブーに触れることは…。

あえて、(誤解を覚悟で)本音で言ってしまおう。
タブーは、
人間の快楽だ。

人類史上最大のベストセラーである「聖書」に出てくるキャラクターにアダムというすっぽんぽんの男がいるが、こいつは人類の祖なんだそうだ。 
んで、こいつがほんと誘惑に弱くて、神様が「駄目だよ」っていったことばかりするし、食べるなって言われたらすぐ食べちゃう。
林檎が好物。だって食べちゃ駄目な果実だから。
「味なんかどうでもよかった。」

でも、最高の味だったんだろう。

アーティストにとって、アンダーグラウンドで活動するということの最大の目的は、
この果実なのかもしれない。  

 

 

4.夢

劇中、演劇の本質について語られる。
「目に見えないものを見せる」 

こういったアイロニーは、夏井さんの台本の可愛らしい魅力だ。

演劇は、面白い。
お客さんの目の前で、生でやっている。

実はこの「生」。
最大の面白さは、生でやることのスリルではない。
眼前で起きる迫力でも緊張感でもない。 

演劇は、一度劇場で椅子に座ってしまえば、そこから動けない。
その椅子からの風景のみが、「見えている」風景である。 
しかし、多くの演劇作品の真のゴールは、ここで「見えていない」風景にこそある。
シェイクスピアも、モーパッサンも、デヴィッド・オーバーンもそう。
この矛盾が演劇の面白さだと、僕は思う。 

見えている景色は「ヨリシロ」にすぎない。
ようはこの可視環境の向こうの景色がどれだけ、見えるか。
見えるものは、
遠ければ遠いほどよい。
多ければ多いほどよい。 
深ければ深いほどよい。
実に単純な価値基準だ。

一番「見えている」状態とは、つまり、透明であるということ。

完全に「醒めている」状態が必要となる。 

今まで僕は、この透明感は劇作家の純性に依るものだと思っていた。
そしてこの純性を支えるものが、愛という観念なのだと思っていた。
それが見事に覆された。 
愛は、夢の中でしか生きられない。

愛は、感情だ。
感情は現実を濁らせる。景色を濁らせる。
そのくせ記憶を美化する。
人間関係を美化する。
かけがいのないものほど、景色を濁らせてしまうと言う矛盾。

醒めるためには、それらを否定しなければならない。

 

 

5.宮本とパンを食う

終演後、宮本奈津美と会った。
彼女もまた、この作品の観劇に来ていた。
劇場近くの店でパンを食いながら、お互いの近況について報告し合う。
チェリーブロッサムハイスクールの公演時には、何度か主役をやってもらった宮本。
主役をぶつけて書く、という行為はなかなか面白い現象が起きる。
大抵は主役が作家の、一番の分身である場合が多い。
血が似てくる感覚というか、肉親のように直感的に分かる部分があったり、双子のように同じ病がリンクしたり。

お互いにいろいろと話す内、なんだか泣きそうになった。
俺も宮本も繊細なんだと思う。

でもな、宮本。
この繊細さは、今の俺たちの首を絞めている原因のひとつではあるんだぜ。 
傷つくことを恐がらずに、笑いながら板の上で生きていくべきだ。
どんなことがあっても、だ。

と、ここまで書いて思う。

チェリーブロッサムハイスクールを辞めて、今後はひとりでやっていくわけだが。
今の俺を支えてくれている人たち、みんな繊細で、みんな笑顔が可愛い。
そして、ひとりのこらず変態だ。
人は、歪みこそが可愛いし、愛おしい。

話してないし、面識さえないけど、
Reset-Nの夏井さん、愛おしい。
人間の繊細さは弱点だし、
英訳の「ナイーヴ」は馬鹿って意味だったりする。
得てしてネガティヴな要素だし、僕は自分の繊細さを呪ったり、許容したり大いに苦しみながら生活してきた。

だから、 
繊細さを武器に変えれる人をみると、すごく嬉しくなるし勇気がわく。
ある意味、ヒーロー的でさえある。
あんなとこからビームだすのかよ!みたいな喜び。

夏井さんに限らず、そういったアーティストをたくさん知っているが、夏井さんはなんか、その中でも特殊な気がする。
その特殊さが何なのかは、今はわからない。

漠然とした、勘でしかないが。

いつかReset-Nの作品から繊細さが消えた時、
新たなポップのスタンダードが生まれるだろう。

その日、もしかしたら淘汰の時代が始まるかもしれない。
また新しい時代が始まる。

その時が来るとして、
僕は「キコ」という娘と共に、板の上に立っていたい。
カーテンコールで笑いたいし、打ち上げで泣きたい。

まずはホームページビルダーか…。
企画書かいて、いろんな人に会おう。
楽しみだ。

結局俺の話になっちゃったな。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月28日 (日)

ワンモア愛妻

すみません。
予告通りにバシっとアップしたかったのだけど。

ワンモア・愛妻
「愛妻」人物設定
「愛妻」バックストーリー   

 

「ワンモア愛妻」としてアップするには余韻もクソもないほど時間が経ってしまった。
今後、こういうことはないようにしよう。

と、なんだかんだいいつつ。
今回の記事を書きながら、すごく思ったことがある。
データベース的な記事にするには借り物のブログでは駄目だ。
今後はキチンとホームページビルダーなどを用いて、みやすくしなければ。

ちゃんと劇中の曲なんかも流しながら、とかね。
これを公演直後にアップできたらちょっとだけ楽しいね。

まあ、俺はこの「ちょっと」を大事にしていきたいので、
がんばろう。

で、

訊かれるし、
このブログもそろそろ引き揚げる予定なので書いてしまいます。
JASRACこえーけど。
今回の公演での使用曲について!

■M0
「 Mas Que Nada」 by Jorge Ben

オープニングの曲です。
マシュ・ケ・ナダ。
ブラジルのヒット曲。
ロックとボッサを掛け合わせたシンプルな楽曲。
結構有名な曲です。いろいろカヴァーされてるけど、これがオリジナルです。
なんと言ってもジョルジ・ベンのボーカルが冴えます。
彼の声は悪魔の声。
ボッサのリズムが持つ殺気とあいまって最高の静けさを演出しました。 

 

■M1

「EIGHT BEATER」 by Number Girl

アングルAからBへの転換曲です。
最初にセットが動くところね。

本番ではちょっとだけ編集しました。
リマスタリングとかもした方がよかったし、するべきだったんだけど、時間がなくてできませんでした。
芝居のハコだとどうしてもドンシャリ(ミキシングについての用語)がね…。
まあ、そんなの俺と音響さんぐらいしか気にしないだろうけど。
「愛妻」の世界観の要素である、荒廃した景色にあわせての選曲。

「甦る性的衝動、繰り返される諸行無常」

という歌詞が脳を突き上げました。んで次。

 

■M2
「Underdog」 by Sly & The Family Stone

アングルBからCへの転換曲です。
ソウルロックの巨人、というか、「ソウル+ロック」を体現した最初のバンド。
スライです。
自分が出ていないパートだったので、ゲネとかでステージを観れたのですが、これ、よかたわ。
「アンダードッグ」は「公僕」という意味もある。
アングルCの歪みまくった教師たちを揶揄する曲でもありました。

 

■M3
「手紙」 by LOST AGE

CからチャプターⅠへの転換曲。
大好きな曲です。
「まる算」くらいからずっと使おう使おうと思っていて、使いどころがなかった曲です。
今回は使えた。

もう一発目の歌詞の

「母さん 俺は もう忘れちまった」

という無常っぷりからテンションが、上がりきってしまう!で次のバースが

「腐った名前と恋に落ちた」

ですわ。
関係ない、心配ない。セックスと愛のイメージを荒野に置き去りにする感じ。
大好きなあの娘のパンティを守りたいです。 
大切な処女を守りたいんです。
他のクソ野郎に奪われないように!

やっぱリッケンバッカーにサンズアンプを咬ませてしまった音は、
狂気でしかない。
当たり前の狂気。それは必要な狂気なんだ。
14歳の狂気。
誰にも迷惑かけないから、狂っててもいい?

無理だな。
かけるわ。迷惑。ごめんね。お母さん。 

 

という感じで、
ラストはカーティス。(「People Get Ready」)
からの。
ブッチャーズ。(「2月」)

音響の牛若さん、演出の荒川さん、ありがとう。
俺、めちゃくちゃ気持ちよかったわ。
やっぱでかい音でかけると、ロックがロールするね。

いつか
ストーンローゼスのレジェンダリーな一曲。
「アドアード」
を使いたいね。
やっぱロックが好きなんだよ。
今、俺を焚き付けてくれるのは
ロックと酒とバルセロナなんだよ。
そこにはファンタジーがあるから。

かつて
「スタンド・バイ・ミー」で追体験した風景と、
「ネヴァー・エンディング・ストーリー」と「ビッグ・フィッシュ」で追体験した原風景をバキバキに表現すべく、やりますよ。 

 

やりますよ。
「キコ」

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「愛妻は荒野を目指す」裏設定 バックストーリー

【震災後の東京について】

2009年6月9日、震災後について。

7月、日本政府は長野への遷都を強行。

東京の復興を重視した政策を展開したが、早々から政治的対立に起因する治安の悪化を招いた。被災地の労働組合は物見やぐらの政策に強く反発し、デモを繰り返した。

そのデモグループのうちの過激な一派が分裂する形で名前を持たないテログループが組織されることになる。


9月。

復興がままならないフラストレーションからデモの参加者は増加し、活動は活性化される。はじめは維新に燃え、政治的なテロを行っていた。しかしリーダーが定まらない状況から幾度となく内ゲバが繰り返され、疑心暗鬼と報復行為のため組織は分裂していく。


12月。

一方、震災から半年が経つと、東京に侵入していた急進的な左翼派が台頭する。彼らはアメリカ(CIA)と中国(中国共産党)の支援を受けた新生民主党をバックにつけ、「東京の自治」を掲げた。理想主義的アプローチは「希望」に飢えた被災者たちを魅了した。

しかし真相は「民主党の政権奪取」と「アメリカと中国による東京の制圧」の取引であった。民主党は、弱体化した自民党に替わり、与党となる。

また、CIAと中共が手を組み東京の占領策を画策する。(大東亜戦争後におけるGHQの統治策と中共の対日心理工作をモチーフにしたもの。)

その内容には

・ 東京の徹底的な破壊と再構築(アナーキズムの誘発)

・ 子供たちの洗脳もしくは再教育

などの要綱も盛り込まれていた。

この政策は秘密裏に「New Tokyo Order(新東京秩序)」と呼ばれた。


2010年1月。

「新東京秩序」(以下、NTOと記す)の一環として本政策遂行のため独自の武装軍を設ける。復興にあたっていた自衛隊と衝突。


2月。

NTO側は東京(と日本)の破壊に当たって、精神的な主柱である天皇の暗殺を企てた。これを早急に察知していた「あいつら」は自衛隊の保守派を味方につけ、先に皇居を占拠。天皇を守ろうとしていた。時は2月26日。奇しくも、かの二二六事件の再現となった。皇居の周りには長きにわたり、多くの死体が横たわった。


3月。

自衛隊の分裂による戦闘が激化。

国連が「東京は戦争状態である」と発表。世界世論はアメリカと中国を強く批判。

これにより戦況は膠着。

NTO側は潜伏状態を余儀なくされ、工作活動に重点を置く。

一時的に治安が回復。


6月。

本作品の事件が起こる。

教育施設に爆発物(花火)が打ち込まれ、多くの死傷者を出す。

震災後、初の非戦闘区域内における虐殺行為として世界中に報道され、再び東京が注目される。


7月。

NTOの工作が成功。世界世論を押し切る形でNATO軍が組織される。分裂によって弱体化していた自衛隊が管理下に置かれる。東京にとどまらず日本全体が民族史上類をみない巨大な混迷に陥ることになる。

NATO軍は撤退。統治と称し、NTO軍が進駐する。


8月。

「あいつら」の一部は日浦洋子を中心に武装化。義勇軍を組織する。


NTO軍と交戦を繰り広げる。機関紙「デッドストック・トーキョー」は義勇軍側に従軍しながら世界に東京の現状を伝え、世界世論に大きく貢献した。

やがて義勇軍はフランス、ロシア、インドの軍事支援を受けながら、徹底交戦。

日本内戦の勃発である。


【東京のベルリン化】

内戦時、激戦となった地は言わずもがな、東京である。

戦火は全国に飛び火し、日本人同士の血で血を洗う戦いは100日に及んだ。この激戦の後、日本は東西に分裂されることなる。東京の一部(北区。レストランのあったあたり)は義勇軍が占拠したため、その地区は「トーキョー自治区」となる。トーキョー自治区は迫害を受けながら地を追われる。

数度の戦争をはさむ16年後、2026年。各種NPO法人の働きかけもあり世界世論が大きく変動する。自治区が国連に認可され、日本は新たな局面を迎えることになる。余談だが、同時期にチベット自治区も中国から解放される。また、この年になっていきなりローリングストーンズが解散する。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

「愛妻は荒野を目指す」裏設定 人物

「愛妻は荒野を目指す」登場人物設定 第二稿


■ 赤羽根けい子 (けい子

【プロフィール】

愛妻A。震災後の過酷な東京において、カズオと幸せな家庭を築いている。子供は男の子がひとり。レストランの常連で、お客の顔見知りも多い。明るく前向きな性格で何事もあきらめない。なによりも家族を大切にし、これを守るためならば手段を選ばないと言う非情な一面もある。


【裏プロフィール】

生い立ちがハードだったため、「しあわせな家庭」に執着していた。手に入れるはずだった家族は震災で喪った。喪失による過度のストレスから現実逃避。実の弟であるカズオを亡き夫に見立て、擬似家族を演じている。けい子が守るものは限りなく現実化した自分の幻想、その平穏。


【嗜好】

もともと詩集を読むのが好き。国内の詩人のものより海外の詩人のものを好む。避難時に持ち出したリルケの詩集にはこうある。「明日世界の終わりが来ても私はリンゴの木を植えるだろう」この言葉が、幻視的な傾向さえ見られるけい子の自意識をこの世に繋ぎとめている。


※「明日世界の終わりが来ても私はリンゴの木を植えるだろう」

この一節はリルケの一節として詩ファンの間で知られるフレーズだが、実際はゲオルギウという詩人の一節。そうなってくると誰の詩でもいいじゃないか、ということで、「愛妻」の世界では「キュカ・スビサレータ」という架空の人物が詠んだという設定になっている。




■ 赤羽根和雄 (カズオ

【プロフィール】

赤羽根けい子の夫。けい子を愛し、やさしく見守る良き夫。しばしば感情を暴発させることもあるけい子だが、これに苛立ちのひとつも見せない。よき理解者であり、パートナー。


【裏プロフィ-ル】

けい子の弟。異常なまでのシスコン。過酷な幼少期を姉に守られたため、けい子なしで自我が成立しない。けい子の嘘に徹底的に付き合う覚悟。それはカズオにとっての幸福でもある。カズオが守るものはけい子の幻想。


【嗜好】

ジャズやフュージョンを好む。歌詞のある音楽を聴くことができない。

ジュースは飲めるが、水が飲めない。


【水が飲めないエピソード】(役者の柚木幹斗だけが知っていたエピソード)

震災直下、けい子夫妻トパーティーをしていた。生き埋めに。気絶する。

かろうじてつなぎ止めた命だった。意識が戻り、まず最初に感じた生理的な欲求は「水が飲みたい」であった。同じく生き埋めの状態であった赤羽根宗一郎(けい子の旦那)は即死しており、肉体が裂けていた。その死体はカズオより上にあった。

朦朧としたカズオの頭上に水分が垂れかかる。水と思って舐めたそれは、宗一郎の血だった。カズオが救出された後そのことを知り、三日三晩にわたり嘔吐を繰り返す。これがPTSDとなり、水が飲めなくなる。

■ 日浦正一 (ヒウラ、ショウちゃん

【プロフィール】

人形と生活を共にしている。周りからは狂人扱いされているが、震災後の東京に彼のような人間は多々存在するため、あまり疎まれていない。(周りが慣れているため)

いつもレストランにいる。

一説によれば、彼は妻を亡くしており、人形は妻の身代わりとのこと。よく人形と会話をしている。ヒウラが守るものは妻の記憶。


【裏プロフィール】

完全に正気。ただし、実際に妻に去られているため精神的な傷は負っている。自己治癒の一環として狂人を装っている。(ヒウラは日本大学文理学部心理学科卒。演技療法として自分に施した治療)

「あいつら」と呼ばれる夜盗の集団に去った妻がいるとの噂を聞き、妻の消息の確認のため、日々レストランに入り浸り決定的な情報を求めている。カズオは旧知の間柄であり、ふたりの秘密は知っている。


【嗜好】

トマト、パプリカ、一味唐辛子、リンゴ、いちご、などとにかく赤いものが好き。妻が好きだったから。


■ 町田可奈女 (カナメ

【プロフィール】

愛妻B。震災後の東京を世界に発信する機関紙「デッドストック・トーキョー」の編集者、カメラマン。ジャーナリストとしての確固たる思想と、アーティストとしてのロマンティシズムを併せ持ち、部下(マユミ、イク)から尊敬されている。

震災で夫を亡くした未亡人。ただし、当時から既にシラサワと不倫関係にあり、夫を亡くしたことで不倫が成就されている。罪悪感を背徳感に変換し、これを快楽として自分を納得させている、強い女。カナメが守るものは、自分の虚像。


【裏プロフィール】

非常に臆病な性格。暴力アレルギー。ジャーナリストとしては街を脅威にさらす「あいつら」の悪行を伝えなければならないが、恐怖により踏み込んだ取材ができない。


【嗜好】

ベジタリアン。

触れることを拒むため、セックスが成立しない。歪んだ形で成立させている。




■ 古賀眞由美 (マユミ

【プロフィール】

機関紙「デッドストック・トーキョー」の編集者。語学に長け、翻訳の担当。カナメを慕うジャーナリスト。仕事の面でも女としてもカナメに心酔している。デスクワークを担当することが多く、あまり現場には出ない。

カナメに対する過度な愛情は、レズビアンじゃないかという噂が立つほど。その反面、自分の中のカナメ像が完全に確立しているため、カナメがその偶像に反した言動や行動をすることが気に入らない。マユミが守るものはこの「偶像」。それは自己に対する理想像でもある。


【嗜好】

フルーツ全般。カナメに倣ってベジタリアン。




■ 白澤洋二 (シラサワ

【プロフィール】

機関紙「デッドストック・トーキョー」の専属カメラマン。震災前はファッション誌のカメラマンだった。震災時に妻を亡くしている。妻の死後、カナメとの不倫が成就。妻を亡くしたショックと震災時に目撃した死の現場の光景からPTSDを患い、男性機能不全となっている。

シラサワが守るものはカナメとの平穏な日常。カナメの良き理解者。


【嗜好】

ジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォーなど古いフランス映画を好む。理由は「何の意味もないから」


■ 篠田育子 (イクちゃん

【プロフィール】

機関紙「デッドストック・トーキョー」の編集者、兼カメラマン。とにかく現場主義で、無鉄砲。カナメに可愛がられている(カナメからすれば使い勝手が良い)。悲惨な被災者の取材も果敢に行い、時にはカナメ以上の成果も出す。

カナメをめぐり、マユミに疎まれることもしばしばだがあまり気にしていない。

少し前にレイプ被害にあっている。


【裏プロフィール】

震災によって家族全員を亡くす悲劇に見舞われている。大家族(15人くらい)だったため、一時は想像を絶する喪失感に苛まれたがカナメの導きもあり持ちこたえた。家族が愛してくれていた「笑顔」をアイデンティティにしている。イクが守るものはこの、自分の「笑顔」。


【嗜好】

好きな食べ物はフランスパン。よく歯茎から血を出している。


■ 根木内沙羅 (ネギ、店長

【プロフィール】

レストランの店長。

沙羅という乙女っぽい名前があるのに、ネギとしか呼ばれない。




【裏プロフィール】

愛妻D。もともとこのレストランはネギの夫が始めたもの。夫もネギと呼ばれていた。この呼称は夫から引き継いでいる。夫は夜盗(王)に殺された。

ネギの守るものは夫の気高い理想の結晶であるこのレストラン。

ちなみにレストランに名前がない。なぜ「レストラン」と呼ばれるのかと言うと、作品の世界において、東京中探しても他にレストランは一軒として存在しないから。


【嗜好】

コーンポタージュ。白ワイン。コーヒーガム。食が細い。

音楽はビートルズだけ。よく「ノルウェイの森」を弾いている。


■ 橋口純一 (ハッシー

【プロフィール】

レストランの店員。記憶力が異様に高いが、それは瞬間的なもので、あまり持たない。

居住区を夜盗に燃やされたため、今はネギと暮らしている。

ハッシーの守るものはもちろん、このレストランとネギ夫妻との思い出。


【嗜好】

ハッシーの作るコーンポタージュはネギの夫から引き継いだもの。

世界一の自負がある。実際、ものすごいうまさ。


■ 野村美和 (ノムラ先生、ミワちゃん

【プロフィール】

学年主任。4年1組担任。不登校ゼロ。理想的な教師。教育理論や児童心理学などあらゆる知己に富み、教育には自信がある。いまいち不甲斐ない雨貝を常に心配している。

彼女が守るものは自分のプライド。後ろ盾を持ってくれるゴトウを信頼している。


【裏プロフィール】

潔癖的な部分がある。自分が雨貝を支えてきた自負がある。

【嗜好】

バニラアイス。


■ 雨貝八弥子 (アマガイ先生、ややこ

【プロフィール】

愛妻C。明るくさわやかな性格で、子供好き。ただし、やさしい接し方は長年彼女が培ってきた処世術でしかなかった。担任する子供たちにそれを見抜かれてしまったため、学級崩壊を起こした。(現在は鎮静化している)

彼女が守りたい(のにいつも守りきれず深く傷ついている)ものは、自分の中にあるイノセンス。

大人になりきれていない。


【裏プロフィール】

ティーンエイジャー時に受けたレイプのトラウマ、及び震災や職場でのあらゆるストレスの反動から、自傷行為としての売春をやめられない。男に対して依存的な傾向があり、現在はトリウミが自分を救ってくれる存在と信じ、結ばれたいと思っている。


【嗜好】

タバスコ、七味など刺激物を好む。味覚障害。


■ 後藤大信 (ゴトウ先生

【プロフィール】

震災後、教頭に着任。校長はハリボテなので学校における執務の実質的な権限を握っている。しかし、支援団体のあやつり人形でもある。支援団体が標榜する「復興後の自治と自立」とはつまり(極論としてではあるが)「東京を植民地化する」ということである。


その駒と成り果てている自分に疑念を持ち始めているが、まったく復興が捗らない上に治安も最悪の東京に生きる被災者が生き残るためには「毒も飲むべし」と考えている。

このストレスから人格が歪んでいる。

正当防衛という名目で人を殺すタイプ(実際に殺したことはない)。自分の正義を貫くことに容赦がない。彼の守るものは自分の仕事に対する大儀。


【裏プロフィール】

野村に惚れているが、人格の歪みから愛情表現が不器用すぎて高圧的な態度ばかり取ってしまう。


【嗜好】

たまご料理。


■ 鳥海正也 (トリウミ先生、トリウミくん

【プロフィール】

4年2組副担任。2組の学級崩壊により、雨貝のサポートを担当するべく着任。生徒達の暴走を止めたのは彼。現在は実質的に担任の業務を果たしている。

ゴトウの弟分。ゴトウに褒められることがなによりの喜びと感じている。

女性的な一面があり、温和で人当たりも良い。このことから依存されることに慣れており、土壇場では非情となることが多い。


【裏プロフィール】

雨貝とは同級生でもあった。雨貝の学生時のレイプ事件を知っている。




【嗜好】

ウイスキー。機械に強い。


※ 教師達は「上」の支援を受けているため、震災状況下においても裕福な暮らしをしている。

※ レストラン付近の住民達は自衛隊の庇護のもと自警団のようなものを組織運営しているが、教師達もまた前述の支援のもと独自の自治を勝手に施行している。要するに、現在の東京には「二種類の警察がいる」という状態。

※ ただしこれは独善的な行為であるため、地域住民から非常に強い反感を買っている。




■ 夢生 (ムウ

【プロフィール】

本名、金本夢生。在日。明るい性格。


【裏プロフィール】

夜盗の集団である「あいつら」と呼ばれる組織のメンバー。

夜盗となってからかなりの殺人を犯しており、麻痺し始めている。

自我と自意識が剥離し始めており、常に恐怖に苛まれている。無表情の割に感情が不安定。


【嗜好】

典型的なこてこてのアメリカンロックが好き。好き映画はマッドマックスシリーズ。


■ 王 (ワン

【プロフィール】

本名不明。王(ワン)と呼ばれていることから出自は台湾と思われるが、流暢な日本語を話す。


【裏プロフィール】

夜盗の集団である「あいつら」と呼ばれる組織のメンバー。

奪うという行為に一切の躊躇が無い。ネギの夫を殺している。最近はイクをレイプした。

実行犯的役割。オウムで言えば林や新実。

元はこのレストランでバイトをしていた。震災後、夜盗に堕ち、咎められ、ネギ(旦那)を殺す。


【嗜好】

ふ菓子

コーンポタージュが食べられない。


■ 小原 (オハラ

【プロフィール】

オハラと呼ばれる。知能が高く、「あいつら」の中でも一目置かれている。

【裏プロフィール】

本名は日浦洋子。日浦正一の妻。

愛妻E。

ある意味、主人公。




【嗜好】

赤いもの。


※ 「あいつら」について

集団化した夜盗ではあるが、その実は地域の労働組合が母体となっている。








【今回の台本で】

気に入っているのはアマガイ先生。

当初のプロットではこのレストランから逃げてしまう予定だった。

「逃げる愛妻」がいてもいいだろうと思っていた。

なのに。

出演時間も20分程度に収まる計算だったのに、なんか急に成長しだして妙に熱くなって、書き進めていくうちにとんでもない行動を取り出して、最後までいた。


こういう女だったんだ、といちいち気付かされる。

自分が考えて作り出した人物のはずなのに、そいつがコントロールをふりほどいて勝手にストーリーを作ってしまう。これはたまらんモノがあった。

感情の不安定なアマガイをバシっと演じてくれた東澤さんに感謝。


あと、

カナメ、マユミ、イクのデッドストック・トーキョーの三人も好きだった。

ストーリーの展開に則しながら変化していく感情の機微がよく書けた。「少年時代」みたいで。

その機微のキーとなる、マユミのセリフは自分でも好きなセリフが多いなあ。

なかでも、カナメがPTSDを起こした時、目の前でマユミが助けようとしているのに、

カナメがイクを呼ぶシーン。

「イクちゃん!イクちゃんは?…イクちゃん、笑ってくれないかなあ?」

おいおい、目の前に助けようとしてくれてる人いんじゃん。

そこでマユミが

「なんで私じゃないの?」

というセリフはすごく悲しくて、大好きだ。この三人の絆が壊れてしまう瞬間が。


カナメという、ある種カリスマとなる難しい役を演じきってくれたイチキさんに感謝。

このモチーフは形を変えても、またやりたいな。

女の友情、みたいなモチーフは大好物です。 

男よりも複雑で、面白い。 


男もいいなあ。

王(ワン)という役をやったんだけど、もっと長くやりたかった。

戦争に巻き込まれて、感情がどうしようもなくなちゃった男。

で、加害者に回った弱さ、とか。

こういうのをもっと描きたいね。

やっぱ戦争ものはいつかやりたい。バーっとね。

やるとしたら暗くなく、重くなく。しめっぽくなく。

かといって何もごまかさず、決して軽くもなく。

渇いた痛みのあるものにしたい。


「グッド・モーニング・ベトナム」の切なさと明るさに、タランティーノ一連のブラックユーモアを携えたような、そういう日本人の戦争の話。

できそうな気がするんだけどな。

「ウィンズ・オブ・ゴッド」とかいい線いってたけどな。

まあ、あれは結局左傾して幼稚になっちゃったからアレだけど。 


もっと渇いたものを。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月17日 (水)

愛妻に捧ぐ

終演から一週間も経ってしまいました。
遅ればせながら、御礼申し上げます。

 

ご来場いただきましたお客様。
心より

「ありがとうございました」

 

スタッフの皆様、キャストの皆様、劇団員の皆様。
おつかれさまでした。
心より、

「ありがとうございました」

ただ一言に尽きますね。やりきったと思います。
「ありがとうございました」

いま、川端康成の短編を思い起こしています。
バスの運転手が夕焼けを背に山を下り、女の子にただ「ありがとう」を繰り返す。
その間、目は前を向いていて、決して女の子と目を合わせない。
そんなシーン。 

 

愛妻を荒野に向かわせてしまった、もっともの張本人(あるいは犯人)である僕もまた、荒野を目指さないといけないのかもしれません。
毎回、本の中で人を殺してきた僕は、人殺しです。
もうなんか、後にはひけねえなという感が強い。
いっそ捕まるまで、東京でテロっちゃいたいな。

僕は、今回の執筆。ババッと書いてシレーっとしてたので、
誰も気付いてないでしょうが、かなり精神をやられてました。
16人分の感情を一手に引き受ける期間が一ヶ月ほど。
堕ちたり上がったり、怒ったり、笑ったり、荒野にビビッたり、立ち向かったり、おまけに何回もPTSD発症したり、と大忙し。
もう、治らないかも、と思ったな。
たぶん、治ってない。
でも、いい方向に狂っていると思うので経過観察。

と。

そんなにも関わらず、締め切りに4日ほど遅れてしまいました。
(みなさん、ご迷惑をおかけしてすいませんでした。)

いままで、台本のあがりが遅いことがコンプレックスでした。
それだけで作家としてのアイデンティティを持てないというか。
「台本いいね」と褒められても、嬉しくなかったです。
ホッとするだけ。
「よかった。まだここで書かせてもらえるかも…。」
と。

他の作家さんの話なんかを聞くと結構「苦しい」とか「書けない」とか聞きます。
台本は、孤独な作業だとかよく言われます。
たしかに僕も、苦しかったし、孤独だった。
「アキストゼネコ」の執筆時は、リアルに3回線路に立ちました。
書けないといって自殺する作家はいても、演じれないといって自殺する俳優はいない。
書くことって、なんでこんな苦痛なのかね。
不毛じゃねえか?
プロレスラーにしても、なんでわざわざ危ないことするのかね。
なんで死ぬかね? 
不毛じゃねえか?
不毛じゃねえんだろうね。 

本望なんだろうね。

なんだよこれ。
これは「作家」の永遠の痒みなんだろうか。 
村上春樹が新作を発表してくれて、嬉しい。
こういう、小さくて遠い出来事だけが支えになり得る。 

だんだん暗くなってきたな。
すいません。
今回の作品執筆において、支えになった歌があります。

セカイイチ「あかり」

 

「僕らの旅立つ景色に君が見とれてしまわないよう、
君んトコまで迎えに行くんだぜ」

という歌詞がたまらん。
僕もそんな気持ちで、僕の小さな可愛い愛妻を迎えに行きたい。
これからのことを考えると、不安と恐怖で目一杯だけど、

あかりは存在する。

それだけあればじゅうぶんだ。だってさ、

いいや、なんか。

めんどくせえ。
言っちゃえ。

僕には最愛の存在がいます。
ぼくは彼女に救われてきました。
彼女を思うことで、心が澄み、作品を完成させることができました。
台本作業も、たぶん、本当は孤独ではなかった。
ラストシーンにはかならず、彼女が待っててくれた。
彼女に会うことができた。

でも、彼女はもう、この世にはいないので、
いつまでも頼っていられないです。
これからは、一緒に書くのではなく、僕が作るもので彼女を楽しませてやりたい。
客席に座っててくれればいい。
ずっと、一緒に苦しんでもらってた気がする。
そんな必要はないんだよ。もう。 

 

あー!
なんかすっごく感傷的だ!こんなこと書いてどうする!消す?
いや、消さない。
けじめだ。

とか、そういうことがあったよ。

僕の本にはそういう思いがちょこっとだけ入っているよ。

気分悪くなってしまった人はすいません。

今日は以上です。

 

演劇はあくまでもチェリーの作品ですから。劇団は関係なく。
あくまで台本レベルでの話です。

個人的に、ごくごく個人的に。

 

 

台本に書いた言葉とストーリーを捧げます。
からだのない、僕の愛妻へ。

 
 
 

※「愛妻」裏データ公表に向けて編集中です。
アップは明後日以降です。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月 8日 (月)

愛妻に泣かされた

ワンステで5人。5回。

今日で5ステやったので、延べ25人の愛妻が荒野を目指したことになる。

残り15人。
愛おしい。

と言っても、なんだかんだでみんな荒野に向かっているので、暗算しずらい人数の人間が荒野を目指している。

みんな凛々しいよ。

本番も佳境になってくると、自分の台本だ、ということがすごく遠くに感じがち。
舞台袖。
ふいに、自分の書いたセリフに涙腺をやられたりする。

どんだけ自分が好きなんだ、と思われることを覚悟で書いたが。
ようは、それだけ役者がいい芝居をしているということ。
それを導いた演出があったということ。
セリフが、書いた時の感情以上の言葉となって板の上で響いている。

女って、こんなにも滑稽で、悲しくて、情けなくて自分勝手で。
本当に美しい。
(男は可愛い。) 

愛おしいね。 
こういう気分にさせてくれる今回の作品は、好きだ。 

えっと。
バックストーリーや裏設定についての事に興味をいただいています。
誠に幸せなことです。

役者、スタッフに配った台本設定ファイルを公開させていただこうと考えています。
公演終了後に、ですけど。
ささやかに、データを楽しむ方々に向けたサービスです。
なのでかなり僕の趣味が入っていますね。

笑え。
すごいぞ、チェリー。

愛妻の詳細

ご予約はこちら


 

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月 7日 (日)

愛妻はししとうを欲す

ご来場頂き誠にありがとうございます。

 

回を増すごとに「愛妻」たちが愛おしい。

思えば自分のパーソナルな「愛妻」について考えてなかった。
僕はどんな愛妻を手に入れるのだろう。

たぶんそいつは夜中に
「つよし、私ししとうが食べたい。」
と言う。
無視する僕に、
「どうやったら今ししとうが食べれるか、考えて。」
と言う。
「作家でしょ?考えて。」
と言う。
村上春樹風に僕を追い詰めるんだ。

これは悪妻だ。

あー、なんか。ししとうとか、キスとかの天ぷら食いたい。

おやすみなさい。

明日も荒野を目指します。凛々しく。


愛妻の詳細

ご予約はこちら

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月 6日 (土)

愛妻は荒野に立った

初日。

荒川演出の悪魔っぷりにどっぷり浸かりながら、板の上へ。

やっとお客さんと遭遇できた喜びを感じる。
この日が来るのをずっと待っていたんだな、と思う。

「感服」
という言葉をいただいた。僕は満面の笑みでニンマリした。

 

演劇とかそういう表現媒体で活動する上で、いつも心がけていることがある。
それはひとことで言ってしまえば、鑑賞者を

「ぶち殺す」

 

「ぶっ殺す」でもなければ、「ギャフンと言わす」でもない。
「楽しませたい」でもなければ「何かを伝えたい」でもない。

ただ、「ぶち殺す」。
僕は寺とか神社が大好き。
観音とか、地蔵とか。
かの空間の中にいる彼らに出会うとき、
彼らとの対話が成功したとき、
僕の魂はぶち殺されている。

そして何度でも小5の感性を呼び起こされる。
あるいは14才か。

そういうことがしたいし、そういう台本なんだ。僕の本は。

「感服」というなかなか日常的ではない単語を複数の方からいただいたことは、
この「ぶち殺す」という目的に一歩近づけたのかな、と思う。
もちろん今回の作品も賛否両論はあるだろうが、
僕は遊女のような気持ちでお客さんを待っている。
おいで。

つまらなかったら僕を殺すぐらいに批判すればいい。
僕の前世はハードコアな遊女だよ。
なんでもOK。
いつでも布団の上にいるよ。

真っ赤な布団さえあれば、僕らは何度でも朝を迎える。

役者だからね。

お待ちしています。

愛妻の詳細

ご予約はこちら

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«愛妻はめんかぶりクロールで50メートル泳ぐ